JHAのこと
日本の手作り腕時計作家のほぼほぼが代表の篠原康治の影響を受けていると思います。
「JHA」の前身である「ラコータ」でわたしはアシスタントをしていました。
「ラコータ」では主に腕時計のOEMを受けて企業に納品する仕事をしていました。
1990年代のある日、代表の篠原が「こういう時計作ったんだけど売れるかなあ」と段ボールを切り抜いて重ねたケースにレジン剤を染み込ませた紙の時計を持ってきたのが、今、日本で多く活動している「手作り腕時計作家」の始まりの地点だと思います。
それから1年もしないうちに真鍮をろう付けして作った時計が作られました。
その時はまだ、世の中に個人で作った手作り腕時計なんて他に見たことなかったのに、2015年の現在、とても多くの作家が活動し、見かけるようになりました。
特に若い作家さんはご本人は知らないかもしれないけど、元を辿れば篠原に行き着くのではないかと思います。
日本の手作り腕時計作家のほぼほぼが代表の篠原康治の影響を受けていると思います。
「JHA」の前身である「ラコータ」でわたしはアシスタントをしていました。
「ラコータ」では主に腕時計のOEMを受けて企業に納品する仕事をしていました。
1990年代のある日、代表の篠原が「こういう時計作ったんだけど売れるかなあ」と段ボールを切り抜いて重ねたケースにレジン剤を染み込ませた紙の時計を持ってきたのが、今、日本で多く活動している「手作り腕時計作家」の始まりの地点だと思います。
それから1年もしないうちに真鍮をろう付けして作った時計が作られました。
その時はまだ、世の中に個人で作った手作り腕時計なんて他に見たことなかったのに、2015年の現在、とても多くの作家が活動し、見かけるようになりました。
特に若い作家さんはご本人は知らないかもしれないけど、元を辿れば篠原に行き着くのではないかと思います。
時計をつくる哲学 ぶれない為に。
今まで、全然ブランディングをしてこなかったので、イメージがばらばらで訳が分からない作家となっていたけど
わたしの強みは、そんな状態なのに、ここまで長くやってこれたこと。
別に能力がなかったわけではなくて、ちゃんと整理してこなかったとか、数を作らなかったとか、
アピールしようとしなかったのでそういう準備をしてこなかったということ。だと思う。
本当によくぞここまで続いたものだ。
ピンチをチャンスに!”とはこういうことなんだろう。
いつか、世の中に認められた時、この話を表に出したい。
今まで、全然ブランディングをしてこなかったので、イメージがばらばらで訳が分からない作家となっていたけど
わたしの強みは、そんな状態なのに、ここまで長くやってこれたこと。
別に能力がなかったわけではなくて、ちゃんと整理してこなかったとか、数を作らなかったとか、
アピールしようとしなかったのでそういう準備をしてこなかったということ。だと思う。
本当によくぞここまで続いたものだ。
ピンチをチャンスに!”とはこういうことなんだろう。
いつか、世の中に認められた時、この話を表に出したい。
これから。
全体の統一感は敢えて作らない。
作家「海野友里子」を貫く。
イメージを凝縮するやりかたは、たぶんわかりやすいけれど、
それよりも「今の海野友里子のアイデア」を形にしたい。
圧倒的に新しい作品を作ること。
ただ、質と技術の向上はしなければいけないと思う。
時間のこと。
そして時計を眺めていつも思うのは、「時間という現象に気が付いて、さらにそれを計ることを思いつくって・・凄いなあ・・・」ということ。
そこから妄想が始まり、気が付くと時間が経っているのだけど結局時間って何なのか・・・
わからない現象を計るものをつくっているんだなぁ
オノヨーコ様・・・1996年に青山のギャラリー360°で『青い部屋のイベント』を観て以来、一番好きな芸術家。
『オノヨーコ展』が明日11月8日から東京都現代美術館で始まります。
ジョンレノンの奥さんとしてしか知らない人にはたぶん凄ーーーく悪い印象しかないと思います。
わたしも1996年までそう思ってたので。
でも、作品を見たら
あれ?今、想像で異次元に行ってた?みたいな。
一瞬、現実の中に想像を流し込んでた?みたいな。
だから展示会で同じものを見てるはずの隣の人と自分は絶対に違うものが見えてる時間がある。
すごくおもしろい。
ジョンとヨーコの最初の出会いがロンドンでの1966年の初個展で。
ジョンレノンがやってきての「天井の絵画」における「YES」の話は有名なんだけど。
わたしはそれよりも、「ハンマーで釘を打て」という作品に、ジョンが釘を打ちたいと言ってきて
「5シリング払うなら」と答えたら「想像で釘を打つなら?」と返してきたっていう。
「それを聞いて同じゲームをする男と出会ったと思った」・・・という話が好き。
その会話をしたときは、その男がジョンレノンって知らなかったそうだけど、そりゃ恋に堕ちるよね。
早く観に行きたいけど。
風邪ひいた~~~~~!
みなさまもお気をつけくださいませ。。。
わたしが初めて観た1996年の『青い部屋のイベント』は、
ただ白い部屋の壁や天井や床に指示や説明が書いてあって。
「この部屋は派手な青色です」とか。
「この部屋は雲と同じスピードで動いている」とか。
「この空間に存在しているいろんな部屋をみつけること」とか。
床に「これは天井だ」とか。
そのことばの前で想像するのは楽しかった。
そのことばの前でただ人が佇んでいるのだけど、
その人の頭の中ではこの見える世界以外が広がっていると思うとぞくぞくした。
「部屋が青色になる迄ここにいること」
が一番好きで、ポストカードを買って、3年くらいトイレに貼ってたなw。
そのあとは、2003年の水戸芸術館『YESオノ・ヨーコ展』
こちらは1996年のとは違って物が展示してありました。
上のロンドンの梯子とか、有名な『半分の部屋』『ベッドイン』もあった。
911の後だったので少しそれ関連もあったり。
あと、ガラスのハンマーと釘があって、その解説に上のエピソードが書いてあったので
わたしはすっかりこのガラスのハンマーと釘がそれだと思っていたのだけど、
ここに書くのに間違ってたら嫌と思って調べたら、違ってたみたいで今ちょっと「あれ?」てなってます。
ま、いいんですけど。
それから